
本日で<簡易21日参拝>が3日目になりました。
<簡易21日参拝>をしようと思ったきっかけはコチラ♪
何か変わったことはと言うと、ちょこちょこといいことがありました。
そして、圧倒的に変わったことは、朝の作業効率がかなり上がったことです!
やったー♪
神社仏閣に参拝して、神様、仏様に言っていることは、
1.「昨日も家族が無事に過ごせたことに対する感謝」
2.「精進して頑張りますので、守ってください」
3.「世のため人のためと頑張りますので、良い方向にお導き下さい
といったことです。
そして必ず朝の挨拶も欠かしません。
あ、私はなるべく参拝しに行くときは、朝にいくようにしているんです。
その理由は以下の記事をご覧ください♪(先ほどのリンクと同じです)
神社仏閣に参拝しに行くのなら、朝がいいということを書いた記事はコチラ♪
朝早くにお参りすることを1週間も続けて行けば、顔を覚えてもらえるかな、と思っています。
そして、帰るときには、「また明日も来ますね」という一言をつけるようにしています。
さて、本題に入りましょう。
<神社とお寺は同時に参拝してもいいのか>
という話です。
あくまで私の個人的な話ですのでご了承ください。
以前、「動物霊に憑かれていますよ」と言われた話をしました。
その時に、「蓮華粥」の霊視のできるオーナー花岡さんに言われたことは、
神社やお寺に行くようにしてください。
「〇〇宮」と、「〇〇寺」に行ってください。
と言われました。
ちなみに私の住んでいるところには、車で20分かかるところにしか神社も仏閣もありません。
そしてその神社と仏閣が、「蓮華粥」の霊視ができるオーナー花岡さんに言われた場所でした。
そのときから、神社とお寺にちょくちょく行くようにしているんですが、
結論から言います。
「神社とお寺は同時に参拝してもいい」

と思います。あくまで個人的な意見ですが。
そして私はなんとなく、神社が先です。
なんでいつも神社を先にしてるんかなーと思っていたのですが、
よくよく考えると、同時に参拝するときは、神社が先がいいんだろうなと思ったんですよね。
私なりの理由をざっくり説明していきますね。
(勝手な私なりの解釈ですので、こういう風に感じている人もいるんだな程度でご覧ください。)
神社とは、「神様がいるところ」です。
お寺とは、「仏様や、聖観世音菩薩、不動明王、大日如来様などがいるところ」です。
そしてお寺には、我々のご先祖が祭られています。
神社には、死をある意味でケガレととらえるものがあります。
古来、日本では、ケガレや怨霊を恐れ、“人”だった人を、“神格化”してお祀りするということがあっていたくらいです。
そして、神様は、とても人間らしい面ももっています。
以前紹介した、本の中にもあったんですが、(下の本です)
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神様も勝手に大勢の人が神社に不躾に入ってくるのを嫌う。
何をしにきたのかくらい言えというものです。
私たちと同じように、”家に入ってくるなら用件を言え!礼儀を守れ!”と思っているらしいのです。
とても親近感を感じてしまいます。笑
それに対して、お寺の「聖母観音様、不動明王様、大日如来様」などは、
私たちの“心を落ち着かせてくれる存在”となります。
どんな時も心を動かさず、仏教の真理の中で、私たちに穏やかさを与えてくれる存在です。
だからこそ私たちは死んだ後も、「お寺のお坊さんを呼んたり、またお寺にあるお墓で弔ってもらう」わけです。
だからこそ、“神様に人間的な側面がある”とすればするほどこそ、
神社から先に行った方がいいと思ったわけです。(あえて言及は避けますね。ご察し下さい。笑)
さらに、神社は、時には怖い存在にもなり得るということを頭に入れておいた方がいいかもしれません。
夕方以降は、死者や怨霊(異界のモノ)が集まることもあります。
ここに、ある宮司さんが書いた1冊を紹介しておきます。
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宮司さんが、実際に見聞きした話、体験した話があります。
小説家や作家が書いた“それ”とは違いますよ。ぜひご覧ください。
私なんてこれを読んで寝たからか、怖い変な夢まで見てしまいました。笑
またもや話が少しずれてしまいましたが、このような”恐ろしい面もある”からこそ、神社で参拝して、そのあとお寺に行く方がいいということです。
もちろん、両方ではなく、片方だけでも十分だと思いますよ。
完全に、私の個人的な感覚と見解ですが・・
きちんと神社とお寺に心を向けて、大丈夫だなって思ったら大丈夫だと思います。(笑)
私の場合、神社で参拝は少し緊張するんです。
神様がいらっしゃる場所でご挨拶をするので・・・。
しかし、お寺は違います。
お線香の香があり、色々なことが動く世の中を、心を動かさずみている仏様たちがいる。
リラックスができる場所です。
以前、あるお寺の住職さんにこんなことを言われたことがあります。
「ここのお寺にもお墓がある場所があるんですが、お墓には幽霊がいるなんて真っ赤なウソですよ。お寺は1番幽霊がいない所です。毎日お経をあげて、供養しているのですから」
その方に私が聞いたんだったと思います。

「お寺に幽霊っているんですか?」
って。
住職さんからの答えを聞いて、確かにと納得したのを覚えています。
ちなみにですが…
感覚的に、なんか今日はおかしいなって日があります。
私の場合、21日参拝の3日目である今日がそうでした。
早起きしたものの、いつもと気持ちが違ったので、なんだか変だなと思っていたんですよね。
いつもは、「よし!今日も参拝に行こーっと!」
となるんですが…、
なーんかならない。
神社やめてお寺さんだけにしようかな、とかなんとか思ったんですが、でも昨日神社で、「また明日来ますね」って言ったもんな、とか考えていました。
なんでこんな気分になってんだ?と思いながら、いつもより早起きしたくせに少しだらけてから出発しました。
そしていつもの神社について参拝にいくと、
やっぱり、なーんかいつもの感じじゃない気がしたんですよね。
それがただの私の気分なのかなんだったのかは結局分からなかったんですが、1つだけいつもと違うことがありました。
いつものようにお賽銭をいれて手を合わせようとすると、となりに人が2人いたんです。
男女だったんですが、男性がその女性を少しリードする形だったので、ご夫婦なのかなと思っていました。
私が手を合わせる前からその方たちはいたので、私が終わる頃には終わるだろうと思いながら、お賽銭をいれて二礼二拍手したんです。
そして手を合わせると、なにやら隣の男性からぼそぼそと聞こえます。

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そしてそのぼそぼそが、だんだん変わっていったんです…。
「うんたらかんたら~〇×※★」
祈祷師さんがなにかを祈祷するような、陰陽師のような・・。
神社で祝詞をあげてもらうようなゆっくりとした心地よい口調ではなく、抑揚のある急ぎ口調でなにやら言っているんです。
宮司さんが話すような抑揚のある声を、何かもっと強くした口調でした。
そしてそれは、私が参拝が終わった後も続いていたんですね。
ちらっと見て見ると、なにやら言っている男の人の隣にいるのは、必死に手を合わせる女の方。(あくまでも私から見た解釈です)
良いことをしているのだろうと思いたいのですが、
どんなことでも思いが強すぎるものは、“念”となりそうで、怖いなぁと思いました。
まぁ、これがいいのか悪いのかは私にはわからないし、「今日はなんだかちょっとなぁ…」と参拝に行くのにいつもと違う気分だったものに影響してるのかもなんなのかもわからないんですけどね・・・。
まぁでも、この後しっかりお寺さんに行って、
大日如来、聖母観音像、不動明王、普賢菩薩に挨拶をして参りました。

なぜこの四方に挨拶しているのかも、また記事にしたいと思います。
余談もだいぶ入っちゃいましたが、「神社仏閣って毎日お参りしていいの?」はここまで♪
やっぱり“なんとなく”とか、“こっちの方が気が落ち着く”ということは、当たっていることが多いんだなと勝手に思う、今日でした。笑
私がなぜ<21日参拝>をしようと思ったのかや、その他神社仏閣にまつわることは、以下からごらん下さい♪
簡易版<21日参拝>と参拝の仕方
古いお守りや古い人形ってどうしたらいいの?


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